嶋田美子「1960年代の芸術と政治の底流:現代思潮社について」
Yoshiko Shimada, « The Undercurrent of Art and Politics in the 1960s: On Gendai Shichōsha », Gavin Walker (ed.), The Red Years. Theory, Politics, and Aesthetics in the Japanese ’68 (Verso, 2020) 嶋田美子「1960年代の芸術と政治の底流:現代思潮社について」 (ガヴィン・ウォーカー編『レッド・イヤーズ 日本の1968年の理論・政治・美学』Verso、2020) (DeepLによる雑訳) 序文 1969年2月、東京に小さな私立のオルタナティブな芸術学校「現代思潮社・美学校」が開設された。過激な出版会社として知られる現代思潮社が、革命的な新しい芸術学校を設立したのだ! これは、1ヶ月前に東京大学安田講堂の占拠が悲惨な結末を迎えた後、若き知識人にとって興奮する出来事だった。美学校は、1950年代半ばの米軍基地拡張反対運動を描いた「砂川五番」で知られる画家・中村宏と、1963~64年にストリートイベントを企画したハイレッドセンターのメンバーで前衛アーティストの中西夏之によるワークショップを軸に、パイロットプログラムを開始した。 1970年、美学校はアートワークショッププログラムを開始し、三人のアーティストが交代で指導を担当した。赤瀬川原平は、ハイレッドセンターの一員であり、「千円札裁判」の被告として知られる人物である。〔残り二人は〕菊畑茂久馬(九州派の画家)と松澤宥(日本のコンセプチュアリズムの創始者)だ。ワークショップに加え、現代思潮社から書籍を出版した研究者や作家による朝の講義も行われた。その中にいたのは、マルキ・ド・サドの著作の翻訳者兼作家である澁澤龍彦も含まれ、他には、埴谷雄高(作家であり政治思想家)、唐十郎(状況劇場団体のディレクター)、土方巽(舞踏[Butoh]の巨匠)、巖谷國士(シュルレアリスムの翻訳であり研究者)、 そして秋山清(アナキスト詩人)がいた。一部の学生は、これらの講義を聴くためだけに美学校に訪れた。赤色のシルクスクリーン印刷のポスター(以下のイラスト参照)——赤瀬川原平の疑似大正時代風ロゴ、中村と中西の設計、そして川...