呪術廻戦

呪術廻戦にジェンダー先進性ってあるの?と聞かれた。うーん、あんまりないのでは。冥冥といい釘崎といい歌姫といい、作者のフェチと編集部意向としての男女同数調整の産物に思える。バトルヒロインのきぞんの引き出し多様性の範囲内じゃないかな。かつてBLEACHが現れたとき、ルチアのキャラデザや性格といい全体的に攻めていて、敵味方ともに男女同数にしようとする工夫などが鮮明だったし、かといってそれほど充実していたかというと疑問だが、それなりにやっていたと言える。同じようにBLEACHぐらいの工夫の現在形程度だろう。BLEACH褒める筋で言うのなら、呪術廻戦褒めるのもありかな。東堂と虎杖への熱意と比べると女性キャラに向けるそれはかなり弱い。呪術はブラザーフッドや師弟関係の方が熱入ってるわけで、それがエモくてBL的だから好きというのはありえるが、しかしそれはジェンダー先進性の欠落の上に成り立つ戯れなんじゃないか。かくも女性キャラを描けないのに、双子姉妹をブラザーフッドの翻案から描けたことに努力を見る、という評価になる。これにジェンダー先進性を見る場合、ストリートカルチャーとしての「自分らのもの」ゆえの賭け金が入ってるんじゃないかな。

ときどき露骨に絵とコマが冨樫になるんだが、これはいわば70年代ジャンプから80年代ジャンプへの移行期において本宮ひろしの模倣から車田正美や原哲夫がオリジナルとして生成していったように、冨樫がかつての本宮ポジションになってきてるんじゃないか。つまり、焦点は現在の冨樫系作品にどこにオリジナル生成の萌芽を見るかにある。世界滅ぼしたい系チンピラ資質の人が、冨樫フレームに乗っかると、漫画としてブーストがかかるんだろう。「鬼滅にみんな行くなか、斜に構えたい子が呪術に行く」という図式をTLで見たが、わりとそれっぽい。

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たしかに「ブス」発言みたいなのはないんだよな。作者の世代と編集部意向のマッチングってぐらいにしか思わんけど… 


「呪術廻戦、少年誌掲載作なのにすごく安心して読めるので驚いた。キャラクターが外見への悪口を言うことへの作者コメントとか、すごい救われる。これまで、「差別的描写は嫌だけど、私は本来の読者(=男性)ではないよそ者なのだから、嫌でも我慢するのがルール」と思いながら読んでたんだな…」(ごろごろ / GOROGOROshinta - Twitter, 2020.11.13)  https://twitter.com/gorogoroshinta/status/1327162044710232069?s=21 


呪術のジェンダー先進ネタと言われて思い出すのは、対抗戦と伏黒母校凱旋バトルのあとにある小ネタで、虎杖が同級生デブ女子に誠実だったというやつ。あれ一個入れるだけで全然違うって着眼はありかもしれない。けっこういい話だったから、作者と編集はまじめに取り組んだんだろう。女子読者が多いことを踏まえて作った小エピソードかなと。

で、作中では父のキャラに比して母キャラが順平の母を除いてほぼ登場していない。主人公とそのバディである虎杖と伏黒はともに親がいないし、虎杖の師匠に当たる五条には家族の描写さえない(呪術師の中で一大勢力「五条家」をワンマンで率いているという設定なのにもかかわらず)。夏油は人類に対する敵対行動を開始するときに親を殺しているが、伝聞で語られるだけでドラマにもなっていない。全体的に、欠損家族への感覚が明瞭で、この点も鬼滅が生殖と血統による記憶伝授の絆を強調していることと対照的。呪術の展開では、親がいないけど実はこうだった(突然過去エピが判明)、とか、疑似家族を作る(H×Hの旅団ベースで変形されていった真人や呪霊たちの集まり)とか、そのへんが濃い。作中で目立つブラザーフッドもそこから生えてるんだろう。虎杖いいやつエピソードのあとではじまるのが五条たちが高専生だった過去編なんだけど、そこで出てくる敵が伏黒のパパなのね。伏黒パパは最強殺し屋なんだけど、女に「このドブスが」とか勢い余って暴言吐きそうな無頼なわけ。でもそういうセリフはない、なぜかというと働かず食ってるプロのヒモだから。プロのヒモが父っていう感覚、なんともこの作品に通底する何かに感じるし、虎杖の優しさも実際にはヒモ属性と連続しているのでは?と思わせられる。

宿儺を自分の中にいれている効果として虎杖の術式が生まれる設定が初期あるんだけど、それは姿を見せない代わりに、対抗戦で戦った相手の記憶改変をするという変なのが生まれている。東堂は虎杖と戦っているうちに、虎杖と同じ中学を過ごした捏造回想を持ち始める。これはノベルゲーム的回想演出が備える記憶捏造性(回想の後で過去が真相として上書きされる)の改変としてけっこう面白い。BLEACH(藍染)やNARUTO(イザナミ)の段階でノベルゲーム手法は取り入れられていて、捏造記憶を相手に植え付けたり回想シーンが膨張していたが、呪術の場合は家族記憶の捏造になっているのが新規性。この場面を挟んだあと、突然東堂は虎杖をマイブラザーと呼び始める。東堂はともとドルオタでアイドルと同じ学校に通って話していたという妄想を回想していたようだし、そのときはその延長で妄想で盛り上がる男友達のイメージで生まれたネタ演出だったのかもしれないんだけど、終盤戦であるはずの最近の展開でも起きている。敵がそれでひとり寝返ってしまう。

「いつのまにか虎杖が家族に思える」みたいな効果がある。「実は家族だった」みたいな後から挿入される何か。取り替え子や欠損家族などのイマジネーションの系統に作り替えてるんだろう。虎杖自身が実は呪物か何かだったというオチも用意されていそうだけど、いずれにせよ焦点は「遡って家族が存在することになる」みたいな時系列感覚だと思う。伏黒のパパが過去編で突然現れたり、後で亡霊として蘇って大活躍するとかもそういう変なねじれ。

あと、袈裟を着た敵キャラ夏油の正体は「母体に呪霊を植え付ける鬼畜」っぽく描かれてきている。つまり極悪なヒモだw 終盤戦が開始すると同時にバランスブレイカーである五条は封印されるんだけど、これもなんか領域展開のイメージと同じで「空間に閉じ込める」イメージなんだよな。というわけで、なので、家族や兄妹、仲間からなる親密圏の形成やメンバーの特徴や、その親密圏形成と時間のねじれが絡む感覚がこの作者の特殊性なのかなと思っている。これらが、真人らや夏油、五条に体現される世界滅ぼしたい系衝動と対置されている主題群。このへんの操作が冨樫との差異なんだろう。

で、この作者にとってのコアな主題系からみると、呪霊サイドにも最強サイドにも虎杖・伏黒個人史にも、女性キャラは排除されまくってるから、ジェンダー先進性があるかっていうと、いやいや女性入れてないやろ?って思ってしまうかな。ジェンダー先進性を匂わせるエピソードは編集者の調整の範囲内なのかな、と解釈してる。むしろこの家族感覚にジェンダー要素を交差させることができたなら、真に凄みが出ると思う。恋愛要素はほぼないと言っていいぐらいなので、むしろ「恋愛要素排除型ジャンル漫画」について考えるべきなのかもしれない。そういえばアイシールド21もDr.STONEも恋愛要素がすっきりと排除されていた。


呪術の作品世界を生み出す基本構成は、五条/虎杖の師弟関係、それを分解して反転させた真人/順平、そしてヴァリアントとしての七海/虎杖、を展開させたのが最初の回路で、そこに「家族兄妹記憶・回想」が入る東堂ー虎杖、その変奏としての双子姉妹、が加わることでその後のポテンシャルを決めたんだと思う。話の規模が拡張するにつれて冨樫成分がけっこう露骨に出たり、辻褄合わせが雑なので時系列が変になるのが別の武器になっている。

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