キム・セリング「「ファンタジーの新中世主義」:ポピュラー・ファンタジーにおける中世のイメージ」
Kim Selling, "'Fantastic Neomedievalism': The Image Of The Middle Ages In Popular Fantasy"
(DeepLによる雑訳)
キム・セリング「「ファンタジーの新中世主義」:ポピュラー・ファンタジーにおける中世のイメージ」(2004)
In Flashes of the Fantastic: Selected Papers from The War of the Worlds Centennial, Nineteenth International Conference on the Fantastic in the Arts. Ed. David Ketterer, Praeger Publishers: Westport, CT. 2004, pp. 211-218.
ウンベルト・エーコは1986年の著書『フェイクの信仰 ハイパーリアリティの旅』において、「中世の復活」が「ホットな話題」であると述べている:
現在、ヨーロッパとアメリカの両方で、中世への関心が高まっている時期を私達は目撃している。それは、ファンタジーの新中世主義fantastic neomedievalismと責任ある言語学的な検証との奇妙な揺れ動きをともなっている(63)。
中世主義の多様な表現形態を、『スター・ウォーズ』、ディズニーランド、『狂戦士コナン』(訳注1)からラファエル前派、オカルティズム、バーバラ・タックマン(訳注2)、ジャック・ル・ゴフまで幅広く調査したにもかかわらず、 エーコは、「剣と魔法」のファンタジー文学、中世テーマパーク、『Camelot 3000』(訳注3)や『エルリック』(訳注4)のようなコミックやグラフィックノベルなど、ファンタジーの新中世主義の形態を、ある種の軽蔑を込めて言及する傾向にある。彼は、「ナチス懐古主義とオカルティズムの間を埋めるような偽中世のパルプ小説の洪水」は、「責任ある言語学的研究の対象」(62-3)となる中世と比べ、真剣な学術的検討にはほとんど値しないと示唆する(注1)。しかし、形式的な中世研究は、西洋社会における中世の広範な文化的解釈の一部に過ぎない(ただし、活力があり重要な役割を果たす部分である)。その中でファンタジー文学は重要な役割を果たしている(Carey, Exegesis)。エーコの意見に反して、「ファンタジーの〔幻想的な〕新中世主義fantastic neomedievalism」は興味深い分野であり、20世紀後半の西洋文化の「社会学的プロファイル」を編纂する機会を提供する。これは、マルク・ベアが指摘するように、「テキストと文脈の両方を(…)テキストの一種として文脈を」詳細に検討する必要がある(306;強調は筆者)。
(注1) また、Domenico Pietropaoloの論考‘Eco on Medievalism’, in Medievalism in Europe, Ed. Leslie J. Workmanを参照。
(訳注1) 『狂戦士コナン』はロバート・E・ハワードの小説「英雄コナン」シリーズの第5作。
(訳注2) バーバラ・タックマンはアメリカの歴史家。
(訳注3) 『Camelot 3000』はMike W. Barrによるコミックブック。DC Comicsから1983-85年にかけて刊行された。
(訳注4) エルリックは『メルニボネの皇子』(原題 Elric of Melniboné [1972])に始まるエターナル・チャンピオンシリーズの主人公。マイケル・ムアコックが執筆し、1961年から長きにわたって続けられた。
「ファンタジーの新中世主義」という用語を考案したエーコは、ファンタジー文学と「中世主義」現象との密接な関連性を(望まずして)示唆している。中世主義は、中世への関心と、中世の世界の特定の側面の採用や再創造を特徴とする社会運動の両方を指すことが可能だ(注2)。これは、18世紀のイギリスにおけるゴシック流行の「黄金時代」の情緒や、ニューエイジ運動、ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ(D&D)のロールプレイングゲーム、再創造的な「クリエイティブ・アナクロニズム協会」など、現代の「オルタナティブ」文化の多くに示されている。これらはいずれもファンタジー文学と強い関連性を持つ(注3)。したがって、私は「ファンタジーの新中世主義」を、ファンタジーの領域と中世主義の領域の交点として具体的に定義する。中世への関心は決して完全に消え去ったことはないが(注4)、近年は中世主義の著しい復興が見られ、同時にファンタジージャンルはイギリス、アメリカ、オーストラリアなどの英語圏で指数関数的な成長と人気を博している。これが示唆するのは、20世紀後半の西洋社会において、文化的な「他者性」や「他者性」の探求を表現するより広範な社会現象の一部として重なり合っているかもしれないということだ。
(注2) マーク・ジルアード『キャメロットへの帰還 騎士道とイギリス紳士』(1981〔邦訳『騎士道とジェントルマン ヴィクトリア朝社会精神史』〕)は、18世紀後半から第一次世界大戦までの中世主義に関する一般的な議論を提供している。また、『Studies in Medievalism中世主義の研究』シリーズ(D. S. ブリューワー、ケンブリッジ)は、20世紀の中世主義に関する優れた資料である。
(注3) ヒラリー・ケアリーは、SFとファンタジー文学がそれぞれ宇宙指向型と地球指向型のニューエイジ宗教、および様々なレクリエーショングループに与えた影響を指摘している。
(注4) 例えば、アーサー王伝説の文学においてである(この指摘はロジャー・シュロビンに感謝する)。
ブライアン・アトベリー『ファンタジーの戦略』(1992〔邦訳『ファンタジー文学入門』〕)の解釈に従い、私が指すファンタジーのジャンルとは、トールキンの原型的な『指輪物語』を中心に集まる、テキスト群の「あいまいなセット」のことだ(12-14〔〕)。最初に私の注意を引いたのは、ファンタジーを配置できる架空の風景のうち、一貫して選択される設定が、西欧の中世の簡略化されたバージョンに似たものだという指摘である(Zahorski and Boyer, 62-3)。多くのファンタジー作家は、キャラクターが中世の衣装を身にまとい、剣で戦い、階層的で曖昧な封建制の半牧畜社会で低技術レベルで生活する環境を、一貫して物語の舞台にしている(注5)。例としては、タッド・ウィリアムズの『いばらの秘剣』シリーズ(原題Memory, Sorrow and Thorn)、デイビッド・エディングスの『ベルガリアード物語』シリーズ; アーシュラ・K・ル=グウィンの『アースシー四部作』、ロビン・ホブの『ファーシーアの一族 三部作』、ステファン・R・ドナルドソンの『信ぜざる者コブナント』シリーズなどだ。
(注5) 例えば、オーソン・スコット・カードは『サイエンスフィクションとファンタジーの書き方』で、ファンタジーという出版ジャンルにおける作家の基本的なアプローチを次のように説明している: 「田舎の風景は常にファンタジーを連想させる。SFを連想させるには、金属板とプラスチックが必要だ。リベットが必要だ」
なぜファンタジーの舞台として中世を選ぶのか、その理由は依然として残る。中世はよく知られており、親しみやすい時代だ。中世ヨーロッパの風景の親しみやすさと一貫性は、アトベリーが指摘するように、読者を引き込むための便利な手段を提供し、新しいファンタジーの世界をゼロから作り上げる必要なく、背景を埋めることができる(132〔〕)。さらに重要なのは、中世のイメージが、西欧の童話とロマンスの伝統を通じて、神話と象徴として瞬時に認識される点だ。魔法の剣、ドラゴン、ユニコーンは、美しい姫君や輝かしい鎧の騎士と共に、「幻想的な」中世の日常的な特徴として容易に受け入れられる。再構築された中世の世界は、アトベリーが言うように、「報告の文脈においてそのような主張が最もアクセスしやすい環境」である(132〔〕)。同時に、中世は、カウェルティが指摘するように、「私たちの日常の現実からちょうど十分な距離を置いているため、私たちはその現実に対して日常的な妥当性や確率の基準を適用する傾向が弱まる」という、異国的な「他者性」の特性を保持している(19〔〕)。
ファンタジーの重要な特徴の一つは、不思議なことが起こる可能性を秘めた「非日常的」経験または「変容」経験の領域へと、参加者と読者を導く点である。1976年にカウェルティは、ファンタジーのような大衆文化の芸術形式は、主に「娯楽」と「余暇」の役割を果たすものだと主張した(19〔〕)。「現実逃避的escapist」傾向を持つ定型文学 formula literature は、社会におけるゲーム、遊び、願望の実現に関連する重要な心理的ニーズを満たすポジティブな特性として議論されている。ファンタジーのこの「再創造的」特性は、巡礼や観光の変容体験を分析するために有効に用いられてきた宗教的な「聖なる」概念にも類似する(注6)。レクリエーションを通じての逃避と興奮の必要性は、カウェルティが指摘するように、「現代のアメリカ人と西欧人の大多数が送る、比較的安全で、ルーティン化され、組織化された生活において特に蔓延する退屈と倦怠感から逃れるため」に特に重要である(15〔〕)。中世の幻想的なイメージは、「私たちの経験の世界の混乱、曖昧さ、不確実性、制限のない理想の世界の構築」を通じて、満足のいく逃避体験を提供する目的に見事に適している(Cawelti, 13-16〔〕)。
(注6) ネルソン・H・H・グラバーン「ツーリズム 聖なる旅」のレクリエーション活動における「非日常的な」体験と「聖なる」概念に関する議論を参照せよ〔邦訳は二種類ある。ネルソン・グラバーン「観光活動 聖なる旅行」、バレーン・スミス編『観光・リゾート開発の人類学 ホスト& ゲスト論でみる地域文化の対応』三村浩史 監訳、勁草書房、1991;ネルソン・H・H・グレイバーン「観光 聖なる旅」、ヴァレン・L・スミス 編『ホスト・アンド・ゲスト 観光人類学とはなにか』市野澤潤平・東賢太朗・橋本和也 監訳、ミネルヴァ書房、2018〕。
中世の雰囲気の安心感と予測可能性は、日常の世界から離れる必要を満たし、善と悪が明確に区別された世界を作り出すことで、ファンタジーの魅力を高める。良い例として、ガイ・ガブリエル・ケイの人気のハイファンタジー『フィオナヴァール・タペストリー』シリーズがある。この作品では、トロントの5人の大学生が封建時代のフィオナヴァールに巻き込まれ、強力な英雄となり世界を守る。『フィオナヴァール・タペストリー』シリーズは、ローズマリー・ジャクソンが適切に「欲望の文学a literature of desire」と表現するファンタジーの「願望実現wish-fulfilment」機能の素晴らしい例だ。(3〔〕)。牧歌的な過去と子供の頃の「よりシンプルな」世界とに対するノスタルジックな憧れが、この欲望を駆り立てる要因と言えるだろう。フィオナヴァールの異国情緒あふれる中世の舞台は、キャラクターたちの「現実」世界での平凡な生活とは対照的に、興奮と魔法に満ちた世界を描いている。
歴史上の中世時代は、このように「昔々」や「おとぎ話」の「むかしむかし」として神話化され、歴史が神話的な連続体へと流れ込むものとして描かれる。これは、人気テレビシリーズ『ヘラクレス 伝説の旅』(訳注5)や『ジーナ 戦士姫』(訳注6)などで示されているとおりだ。中世を「ファンタジー」として構築する歴史は、英語圏では少なくとも18世紀まで遡るほどに長い。これは、過去を理想的な時代として捉え、現在がそこから衰退したものと見る「エデン主義Edenism」の一種と捉えることができ、モダニティに対する強力な批判の潜在的基盤となっている。
(訳注5) 1995-1999年に放送されたテレビドラマシリーズ。原題「Hercules, the Legendary Journeys」。
(訳注6) 1995-2001年に放送されたテレビドラマシリーズ。原題「Xena: Warrior Princess」。
18世紀のイギリスでは、中世への関心が高まる一般的な復興が起きた。「ゴシック」の流行は、知識人・芸術家のエリート層を席巻し、中世のイメージは「自然」と「原始的」対「都市文明」、超自然的対科学的合理主義という二項対立の枠組みを中心に構築された(注7)。ルソーのような思想家によって、新古典主義と啓蒙主義の理想が批判的に検証され、感情を犠牲にした過剰な「文明」と合理化の歪んだ影響が、自然への回帰と「プリミティヴ」な社会の単純さへの呼びかけを招いたのだ(注8)。西洋古典文明の「プリミティヴ」な過去とは、実はこれまで軽蔑されてきたヨーロッパの中世だった。中世のロマン化は、サー・ウォルター・スコット、ワーズワース、ラファエル前派、ホレス・ウォルポール『オトラント城』の作品に顕著に表れている。
(注7) Alice Chandler’s A Dream of Order: The Medieval Ideal in Nineteenth-Century English Literature. (1970) 〔邦訳:アリス・チャンドラー『中世を夢みた人々 イギリス中世主義の系譜』〕は、19世紀の中世主義に関する画期的なテキストである。
(注8) Margaret Omberg, Scandinavian Themes in English Poetry, 1760-1800. (1976)は、18世紀のプリミティヴィズムに関する優れた議論を含んでおり、特にpp.108以降が注目される。
中世的な「他者」は、これまで古典古代とルネサンスというより明るく美しい歴史的兄弟の間に――暗く、不明確で野蛮な存在として――潜んでいたが、今やその恥の要因となっていたまさにその特性が称賛されるようになった。「モダニティ」はそれに先行する「中世」から意識的に分離されるのだが、そのとき、「中世」は明確に「前近代」と定義され、したがって野蛮で混沌としたものとされていた。「ゴシック」中世のこの「プリミティヴ」な側面は、生活様式や感情の自由、単純さ、本物らしさ、活力、精神といった肯定的な価値を象徴するようになった。こうして、中世は、近代が及ばない基準として掲げられた。このロマンティックな中世の「他者」像は、近代の持続的な神話の一つであり、社会批判の媒体として深い象徴的・文化的価値を保持し続けている。中世のこのイメージを「黄金時代」として描く「反近代的」な推進力は、現代のファンタジーの修辞において活発に利用されている。
「ポストモダニズム」として知られる20世紀末の文化状況は、啓蒙時代以来続いてきた歴史的なメタナラティブの崩壊を特徴とし、マーク・テイラーが指摘するように「深刻な精神的、社会的、政治的な混乱」をもたらしている(77)。パターソン(65)とストックは、「モダニティ」はルネサンスから始まり、中世は前近代的であり、したがって「他者」として表現されると主張する。ポストモダンの「他者性」への関心の大部分はアイデンティティ、コミュニティ、意味の探求といったより一般的な傾向に由来するのだが、そうした傾向は、デュルケームが論じたように、流動的で社会的に流動的な工業社会において人々が経験をしている「アノミー」と根無し草のような感覚から生じるのだ(Camilleri and Falk, 227)。
一方、現代のファンタジー文学における中世の世界は、常に豊かで充実し、本物らしさあふれる(authentic)時代として描かれる。そこで人々は、存在に意味と目的を与えるための戦うべき理由を持つのだ。一般の想像力における中世は、「暗く汚れた」中世と、神話的な前工業時代の黄金時代の二つへと、しばしば二極化される。主流のハイファンタジーにおける中世主義は、J・R・R・トールキンの「反近代主義的」な作品である『指輪物語』が示した例に倣い、中世の非常に選択的でポジティブなイメージを提示する(注9)。このロマンチックで理想主義的な中世像が主流であることから、十字軍や異端審問の汚く抑圧的な世界も同様に妥当なイメージであることを忘れがちだ。そこでの生活は、ホッブズが「貧しく、醜く、野蛮で、短い」と表現した「自然状態」に例えることができるだろう。
(注9) ノーマン・F・キャンターの『中世の発明』(1991〔邦訳『中世の発見 偉大な歴史家たちの伝記』〕)は、J・R・R・トールキンと C・S・ルイスを中世学者および空想家(ファンタジスタ)として興味深い視点から考察し、彼らの社会的背景と学術的・文学的著作との相互作用を通じて、彼らがどのように、そしてなぜ中世のポジティブなイメージを利用したかを検証している。第 6 章「オックスフォードの空想家たち」205-233 ページ。
現代のファンタジーというジャンルは、中世のイメージを中核に据えた「適応と抵抗が複雑に絡み合ったもの」であり、西洋社会における特定の支配的なイデオロギーに挑戦しつつも、同時にそれに従う性質を持っている(Jackson Lears, xiii〔邦訳xvii-xviii〕)(注10) 。中世の対立するイメージのあいだにある緊張は、社会における「理性」と「非理性」の言説の継続的な対立の一部と見なすことができ、異なるグループ間の知識の支配を巡る競争を反映している(Ward, 57-118)。 エルキンス、マンラブ、アトベリーなどの研究者は、ファンタジーが「非合理的な『魔法』の正常化」を通じて「理性」のヘゲモニーに挑み、文学機関内での「現実主義的」小説の支配的地位に疑問を投げかけると指摘する。 現在の中世のポジティブなイメージの流行は、科学的な合理主義への信仰からの離反と、「非合理的」で直感的な知識形態の再確認の必要性をある程度反映しているかもしれない。
(注10) T. J. Jackson Lears, No Place of Grace: Antimodernism and the Transformation of American Culture 1880-1920. (1981), xiii〔T・J・ジャクソン・リアーズ『近代への反逆 アメリカ文化の変容 1880-1920』大矢健・岡崎清・小林一博訳、松柏社、2010、xvii-xviii〕では、反近代主義の矛盾した性質が議論されている。
カミリエリとフォークが指摘するのは、科学的で「合理的」な言説の支配(ヘゲモニー)への幻滅、および西欧における制度化されたキリスト教の衰退によって表れる世俗化の進展にこれが起因するかもしれないということだ(214-15)。これが「霊的な空虚spiritual void」を生み出し、それによって人々は過去や代替的な霊性形態に頼ることで埋めようとする。幻想的な新中世主義は、ファンタジー文学が重要な役割を果たす人気のニューエイジ運動に特に強い影響を及ぼしてきた(注11)。「ニューエイジ」という用語は、ネオ・ペイガンやネオ・キリスト教の宗教、UFO教団、錬金術、占星術、ハーブ療法、アロマセラピー、クリスタルヒーリングなど、多様なグループや興味の緩やかな集合体を指す。ニューエイジの社会宗教運動における千年王国主義的かつ神秘的な要素は、精神的な空虚(spiritual vacuum)を埋める試みであり、コミュニティとアイデンティティの感覚を育むものとして解釈できる。また、魔術、オカルト、魔女術への関心の高まりは、「より広範で文化的な『非合理なもの』への関心」の症状として読み解くことができる(Ward, 63)。超自然的な存在――聖人、奇跡、聖遺物、そして魔術――への圧倒的な中世的信仰は、精神性(霊性)の時代を象徴する強力なイメージを提供し、20世紀の清潔で精神的に貧しく意味のない時代との対比を鮮明にしている。
(注11) Irving Hexhamは、『指輪物語』がイギリス・ニューエイジの初期段階においてグラストンベリー、アーサー王、ヒッピー、フリークス、そしてニューエイジに与えた強力な影響を、Glastonbury, King Arthur, Hippies, Freaks and the New Age (1971)で記録した。
シェリ・S・テッパーの小説『ビューティ』(1991)は、中世を無垢で単純で健全な時代として理想化したイメージに依拠し、工業化と近代化によって失われていく聖なるものの感覚を保持している。『ビューティ』のタイムトラベルする中世のヒロイン(同じくビューティと呼ばれる)は、20世紀と21世紀のディストピア体験を、自身の14世紀の時代と比べて罵る:
その後、科学と電気照明の時代が到来し、明るく照らされた部屋で座る人々が「馬鹿げた話だ、私たちは何でも想像できる」と述べた時代が来た。どんな恐怖でも。どんな吐き気を催すようなものでも……。「私たちはそれを語り、それを言い、物語にすることができる。やがて、目で見ることのできるもの、心で理解できるもの、私たちの中の子供を腐敗させ、永遠に汚すものとして、ページ上に存在しないものは何もないようになる。 無垢。 永遠に失われた、考えられないものと言えないものと共に」(410-11)。
「電気照明」と「科学」の登場により、もはや神聖なものは何もなく、自然への支配という禁断の知識の果実は、やがて美の無垢な中世の楽園を腐敗させ、破壊してしまう。全体を覆う効果は、現代を犠牲にして中世を称賛するものである。現代の資本主義社会における合理的な物質主義と懐疑主義に対する不満と批判が暗に示されている。「進歩」は最終的に人間性を失わせるものと見なされ、中世の生活が持つとされる豊かさと「真正さ(オーセンティシティ)」への憧れ、そして自然世界に対して「合理的な」人々が感じるとされる「驚異の感覚」の喪失への嘆きが表現される。C・S・ルイスが指摘したように、ファンタジー小説の中世は「私たちの世界よりも大きく、明るく、苦く、危険な世界」として想像されているのだ(Cantor, 213〔〕より引用)。
現代のファンタジーは、書籍だけでなくアートや映画を含む製品を生産する大規模な市場を有する商業産業であることが明白だ。これらの作品は、ニューエイジ宗教や国際的な創造的時代錯誤協会(Society for Creative Anachronism)のようなレクリエーション団体を含む、広範な社会現象のネットワークを生み出し、またそのネットワークによって支えられている。したがって、「ファンタジー」は単なる文学的な「ジャンル」を超え、テキスト(文学だけでなく、アート、映画、グラフィックノベルを含む)、レクリエーションやファングループ、観客/参加者、作者/製作者を含むサブカルチャー的なコミュニティとして捉えることができる(注12)。その中心にあるのは、主に後期資本主義の西洋社会への反応と批判として構築された中世のイメージである。ファンタジーはサブカルチャー的でテキスト中心的なコミュニティと捉えられるのだが、それは中世のイメージに強く依存している。シルビア・ケルソが指摘するように、ファンタジーが構成するものは「正統派(canonical)の批評家だけでなく、ポストモダニズムの構築者やSFのような非正統派文学の支持者によって無視されたり軽視されたりしてきたポストモダンの時代に対する文化的反応」である(9)。
(注12) ジャスティン・ラルバレストの『サイエンスフィクションにおける性別の戦い:パルプからジェームズ・ティプトリ・ジュニア記念賞まで』未発表博士論文、シドニー大学(1996年)第1章、1-35頁を参照。
ファンタジー文学は、現代の西洋文化と社会が基盤としている合理主義的、反英雄的、物質主義的、経験主義的な言説に対する反動=反応(reaction)として、多くの点で捉えることができる(Elkins, 23-31)。ファンタジー文学の「社会的背景」を詳細に分析する本研究のような取り組みは、人気ファンタジーの研究に対する偏見を是正し、ファンタジーが現代の想像力の形成に果たす重要な役割に注目を集めることを目的としているのだ。
参考文献
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